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執筆者の写真La terre la mère

ふと言われた「この子はみんなのこども」/まゆこvol.31

すこしずつ日が長くなり、ときどき春の陽気も感じるようになる頃ですね。

思わず耳を塞ぎたくなるような、子供に関する痛ましい事件のニュースがありますね。

「ああ、なんとか、こうなる前に手を差し伸べられなかったかな」

「どうやったら気づいてあげられたかな」

と考えずにはいられません。

どうしても、”プライバシー”とか、”血のつながり”とかいう「垣根」があって、個々のお宅の事情に踏み込むのが難しい、という印象があります。

逆に家庭内からだと、「これは家族の問題だから」とか、「よそ様にお世話になってはいけない」という思いが強いということもあるように思います。

アメリカのとある街に行ったときに、こんなことがありました。

ベビーカーに乗った当時1歳の息子と、5歳の娘を連れて、市バスに乗っていた時のことでした。

バスを降りるときに、あくせくしていたら、乗ってこようとした女性の方が、

「手伝いましょうか」

と、ベビーカーやこどもたちを下ろすのを手伝ってくださいました。

「ありがとうございます」

とお礼を言うと、

この子たちは私たちのこどもですから

とおっしゃいました。

さらりと出てきた何気ない一言でしたが、あとあとになってもとても印象に残りました。

私たちのこども

この考え方がもっと浸透すればいいのにと思います。

その方にとっては、私のこどもは、その人の子でもでもあるから、バスから降ろすとき一緒にやって当然、という感じでした。

この考え方が浸透すれば、手伝う側も、垣根なく手伝いやすいし、手伝ってもらう側も、「申し訳ない」と思わずに手伝ってもらいやすいかもしれません。

実際に、”こども”は”社会のこども”だと思います

もちろん、”こども”は、パパ、ママのこどもだけど、育てていくのはパパ、ママだけではないです。

血のつながり”のある家族・親戚だけでもないです。

行政の人、医療者、他のこどものママさん、パパさん、その場に居合わせた人、たまたま目に留まった人、誰もができることがあると思いますし、みんなで育てていくのが”こども”だと思います

こういうことがもっと当たり前である世の中になっていってほしいと思います。



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